背泳ぎ、クロールという二つの泳法は、表裏の違いはあるものの、腕が回る方向を同じくしています。
前面に背面の、背面に前面のプリントがされた水着を着ることで、水着はクロール(背泳ぎ)しているのに、
肉体は背泳ぎ(クロール)する両義的な状態が生まれます。鑑賞者は映像の中で泳ぐ体のどこに注目するかによって、
一つの体がある時はクロール、ある時は背泳ぎに見え、向きに対する認識が解体されていく状態を体験することができます。
更に、この作品では階段をのぼって、映像を見下げて鑑賞することができます。
スクリーンの両面から見ることのできる映像は左右だけが反転した同じもので、水中から見上げる形で水泳を撮影したものです。
階段の上からの鑑賞は、「階段を上ったから水上に出たはず」「スイマーの体の《反対側》が見れるはず」という鑑賞者の直感的な期待を裏切り、「見下げているのに見上げている」という、映像の内容と鑑賞者の身体の状況のズレを作ります。
このように映像と設置に仕組まれた構造が向きに対する混乱を生じさせ、普段われわれが生きる上で頼っている知覚や認識のいぶかしさを自覚させる装置として作品が機能します。